初めての山陰旅行 その2

 山陰旅行の二日目、松陰先生の生誕の地を訪れることにしました。途中「関が原の戦い」の後、山口県に領土を移された毛利氏の廟所(先祖を祀った所)がある「東光寺」に寄りました。写真にあるような紅葉の美しいお寺でその奥には、国宝の廟所があり、荘厳な感じがしました。


 「東光寺」のすぐ近くにあり昨日訪れた松下村塾の南側に吉田松陰先生の誕生の屋敷跡とお墓がありました。吉田松陰先生の誕生の屋敷跡からは、萩の町や日本海を一望に見渡すことができました。この場所から、松陰先生は、何を思っていたのかなあ。鎖国中の日本を出て海外に行きたいと思ったのではないかなあと想像しました。屋敷跡には、屋敷があったと思われる土台が残っており、その当時の屋敷の広さがわかる程度でした。生家のすぐ近くに先祖代々のお墓があり同じ場所に「高杉晋作」さんのお墓もありました。誰でもお参りできるような庶民的なお墓で、如何にも松陰先生らしいなあと思いました。手を合わせてお参りさせていただきました。



  萩の町を出発していよいよ今回の主な目的地・神様の集まる「出雲大社」に向かいました。時折日本海を眺めながら車を進めました。太平洋とは多少違う印象を受けました。やはり風が冷たく白波が立ち「因幡の白兎」のお話を思い出しました。因幡は、出雲大社の近くにあるということで、やはりこの景色を見てお話ができたのかなと納得しました。



  出雲大社に到着し、有名な大きな注連縄を拝見させていただこうと思いましたら、ちょうど「平成の御遷宮」の最中で 平成20年4月20日大國主大神様を仮のお住まいの御仮殿(現拝殿)にお遷し御修造がととのう平成25年5月にはもとの御本殿に還られるという事でした。祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々がお集まりになるそうです。神社の総本山とも言うべき所で、全国的に神社では、一拝二拍手の所出雲大社では、二倍の二拝四拍手の作法で拝礼するのは有名ですね。境内には、土産物屋があり、縁結びの神様にちなんだお菓子やお土産がたくさんありました。縁結びというのは、恋愛関係だけでなく人と人との縁という意味もあるようです。私が気に入ったのは、紅白の縁結び餅です。お守りも家族に買いました。出雲大社に詣でて境内を巡っていると、物々しい車やパトカーの行列が通り過ぎました。政府の要人が乗っているのかと思いましたら、一週間後に皇太子様がいらっしゃるということで警備の練習をしているということでした。皇室を迎えられるということは、かなり神経を使われるんだと思いました。
 境内には、大国主大神の像や、「因幡の白兎」のお話にちなんだ像などがあり見ごたえのある建物もたくさんありました。

  蜆の収穫で有名な宍道湖に向かい、夕方には宿泊地の玉造温泉に着きました。夕日がきれいに見える丘がありましたが、あいにく雲が出ていたのであきらめました。旅館には、玄関先に足湯があり、温泉に入った後楽しみました。

  玉造温泉は、昔と比べると、華やかさはないようでしたが、お湯の質はよかったです。玉造温泉は、島根県松江市玉湯町玉造(旧出雲国)にある温泉で、『枕草子』により三名泉とされ、城崎温泉皆生温泉三朝温泉らと共に山陰を代表する温泉地だそうです。 古湯で、『出雲国風土記』にも記載があり、神の湯として知らているそうです。また江戸時代には松江藩藩主の静養の地となっており、湯之介と呼ばれる温泉を管理する役職も設けられていたそうです。玉造という名の由来は、この地にある花仙山で良質の青瑪瑙が採掘できたために、この地の人々が玉造を生業としていたことに由来しているようです。三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によってこの地で造られたと言われていて、玉作湯神社にはその櫛明玉命を祀り、多数の勾玉や管玉が社宝として保管されているそうです。初めて訪れた私には、初めて聞くことばかりで歴史のある温泉なんだなあと思いました。やはり神社の総本山とも言うべき出雲大社の近くにあるものは、歴史があるなと思いました。

  次の日は、松江市島根県県庁所在地)にある松江城を訪れました。松江城のお堀を巡る「堀川めぐり」の船が出ていて船で観光しました。船といっても、船長さんが1人で説明をしながら巡るというとても昔ながらのお船でした。松江城のお堀を回り、船の中からお堀沿いにある松江の町並みを見たり、『怪談』「雪女」や「耳なし芳一」の作者として有名な「小泉八雲」の住居跡を見たりしながら情緒のある「堀川めぐり」をしました。低い橋の下をくぐり抜ける時、船にかかった屋根が、下がってきて、体を屈めないといけない時もあり、それがまた楽しい一瞬でした。はじめ橋を見たときは、屋根が下がるのを知らなかった為どうなることかと思いました。松江城に行ったら是非この「堀川めぐり」の船をお勧めします。


 船を降り松江城を見た後、先ほど船から見た「小泉八雲」の住居跡を訪れました。住居は、「小泉八雲」が住んでいたときののまま保存され、門を入ると玄関があり八雲さんが執筆していた机が復元されていて、観光客が座ることができ、執筆中眺めた庭や池がそのまま眺められ八雲さんの気持ちを感ずることができました。
 先ほど「堀川めぐり」の船から眺めた所を、散歩しました。私に丁度いいくらいの距離でいい運動になりました。


 松江城を後にして、境港に向かう途中「安来節」で有名な安来市にある日本一の庭園といわれる「足立美術館」によりました。紅葉もきれいな立派な庭園でした。できれば、ガラス越しでなく鑑賞することができたらなと思いました。四季折々の庭園が見られるとの事今回は秋ですが、それぞれ素晴らしいだろうなと思いました。近くには、本場の安来節が見られる「安来節記念館」がありましたが、時間がない為記念写真だけ取りました。

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  いよいよ、今年NHKテレビの朝ドラで有名になった漫画家「水木しげる」さんの故郷・境港にある「水木しげる記念館」に向かいました。山陰にきたらここに寄らなければと行ってみました。私の子供が小さい頃15年ほど前だと思いますが、水木しげるさんが書いた自叙伝ともいうべきドラマ「のんのんばあ」を見てから水木しげるさんて面白い方だなあと思っていました。今でももう一度見てみたいと思っているドラマです。現在の豊橋市長の「佐原光一」氏も協力されたということも聞いていましたので楽しみにしていたのです。
 境港の漁港近くの駐車場に車を停め、少し歩くとすぐに「水木しげるロード」になっていました。アニメの「ゲゲゲの鬼太郎」に出てきた妖怪たちのかわいいブロンズ像や看板が、歩行者道路のいたる所に置いてありました。お店も全てといっていいほど鬼太郎に関したネーミングであったり、看板であったり、町の人たちが全員協力し合って町おこしをされているのがわかりました。そして漫画家「水木しげる」さんが、故郷境港市のために全面的にバックアップしておられました。やはり故郷には、愛着がありますものね。「水木しげる記念館」に入ると水木さんのその思いが、よくわかります。自ら出演され生い立ちや戦争体験のこと漫画家になってから今までの苦労した話など訪れた人にわかりやすく、また面白くお話されていました。そして、大人から子供まで楽しめる工夫がされていました。映像もそうですし、妖怪たちの展示も絵であったり実物であったり映像であったり、アニメと一緒に写真を取れたり絵を描いたりと時間があればいろいろな楽しみ方ができるようになっていました。記念館を出て少し歩くと、「妖怪神社」があり観光客がお参りしていました。


 

境港駅に行ってみたら、駅にも鬼太郎コーナーがいたるところにあり看板もとても洒落ていました。「鬼太郎列車」のポスターもありました。暗くなるまで写真を撮りました。



 境港市で夕食をとり、帰路に着きました。