「夢の九州旅行」その五 総集編

  旅行7日目の朝、福岡市内の「万葉の湯」を出発するときに驚くことがありました。福岡空港がすぐ近くにあり、ビルとビルの間を飛行機が飛んでいるのを見たからです。沖縄の基地も民家の近くにあり、地元の人々も大変ですが、福岡の町も民間機とはいえこんな近くに空港があっては不安だろうなと思いました。

 この日は雲ひとつない青空、晴れ晴れした気持ちで出発しました。訪れたいと思いながらなかなか行けなかった「大宰府天満宮」に着きました。本やテレビでは知ってはいましたが、学問の神「菅原道真公」のゆかりの地で合格祈願に訪れる人が多いこと、「梅ヶ枝餅」が有名なことくらいであまり歴史的なことは学習せず訪れました。しかし「大宰府天満宮」の入り口にある「宝物殿」に寄り、映像や展示物で説明してもらいよく分かりました。映像がとてもセンスよく分かりやすくできていて、入館してよかったです。行かれる方は、「大宰府天満宮」にお参りする前に「宝物殿」に立ち寄られることをお勧めいたします。なぜ牛の像が置かれているか、なぜ梅が天満宮のシンボルになっているのか、「菅原道真公」の人となりも知ることができとてもよかったです。道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名ですよね。このような歴史あるところによると日本人として誇りに思いますね。自分もちょっと賢くなったような・・・。ここへは、坂本龍馬も訪れたようです。「大宰府天満宮」に参拝した帰りの出店で、有名な梅ヶ枝餅を食べました。お餅のこんがり焼けた感じが美味しかったですね。


 大宰府天満宮を後にして、長崎のハウステンボスに向いました。以前来たときは、春のチューリップがとても綺麗な時でした。今回は、夏。やはり、暑かったです。そこで、遊覧船に乗りクルーズを楽しみました。白鳥や鴨達がいて気持ちよさそうでした。周りのオランダを思わせる西洋風の建物を水上から眺めました。水車やお花がきれいでした。今アニメ界で人気のある「ワンピース」のフェスティバルを開催していました。ロシアから舞踊団が来ていて、楽しい民族舞踊や歌を披露していました。とてもかわいかったです。ハウステンボスの中はとても広くて、一周すると結構足に来ます。でも、体の弱い方に優しいバリアフリーに心がけていて、小さいお子さんや車椅子の方も見かけました。

 
 

  最後の宿泊地雲仙温泉に向いました。ハウステンボスから雲仙までの道は、大村湾沿いに進む道で、南北に長い長崎県を北から南へと南下する道です。海が大好きな私にとっては、時々海が見え隠れする楽しいドライビングロードでした。途中長崎空港を通ったり諫早市を通り雲仙に到着する時は、夕日が沈む頃でした。海が雲の間から夕日に照らされてとてもきれいでした。雲仙は、土石流で大災害のあった普賢岳の近くで、以前来たときは災害にあった町にも行き、土石流で埋まってしまった家も見ていましたので、今後も町が活性化していってほしいなとなんて思いました。雲仙温泉の泉質はやはり白濁の硫黄温泉で、お風呂には湯が出るところに湯の華がついていました。そんなお風呂にゆったり入っていると一日の疲れも吹っ飛んでしまいました。今日が旅の最後の宿泊地だと思うとちょっぴり寂しかったりして・・・。でも、わたしの頭には、次の旅行のプランがあったりするのです。それが、前向きに生きるわたしの原動力となります。さあ明日は、いよいよ坂本龍馬たちが活躍した「亀山社中」へいけるんだと思うとワクワクしてきました。
 私が元気に旅行にいけるのは、枕が変わってもどこでも熟睡できることと、車の運転が好きな所かなと思いながら眠りにつきました。



 さて、旅行最後の8日目の朝、長崎に向けて出発。ホテルを出るとじきに大きな観音様の像がありました。やはり雲仙普賢岳の大災害の慰霊碑のようでした。今後大きな災害にあわれないようにお祈りしました。雲仙温泉は、高い所にあるので車は、アクセルをあまり踏まなくても進み車の燃費もあがる一方です。プリウスに乗っているお陰でガソリン代もかなり節約できます。CMにもありますが、エコの状態が、映像で映し出されるので、少しでも燃費を良くしようと言う気持ちにさせてくれます。私が遠出の旅行に行こうと思うようになったのは、エコカーの購入と土日の高速料金の低料金のお陰かなと感謝しています。
 さて、長崎市内に入り、坂本龍馬が中心となり組織した日本初のカンパニー「亀山社中」を目指し、かなり細いのぼり坂の道を進むと、亀山社中記念館の駐車場がありました。駐車場には、係りの守衛さんがいて道を教えてくださいました。(かなり寡黙の方でしたけれど)坂本龍馬たちがこの道を行き来していたかと思うと感無量でした。NHKの「龍馬伝」も見ているので、思い入れもかなりありました。丁度今、長崎時代の龍馬たちが放映されているのでリアルタイムで旅行できていると思うと幸せな気持ちになりました。幕末・明治初期にわたり、鎖国をしていた日本にあって、新しい考えを持った若者たちが、唯一外国との貿易を許されていた出島があるこの長崎に集まってきたのがよく分かります。

 ]


 「亀山社中記念館」には、とっても親切な係りの方々がいらっしゃって、(敬語をあえて使わせていただきますが、本当にやさしい方々でした。)普通は、写真とってはだめ等規制がかかるところが多い中(複製であっても)親切に説明してくださったり、刀やピストル(坂本龍馬が持っていたと思われる複製の物)を持たせてくださったり、おまけに写真まで撮って下さいました。町おこしを一生懸命やっていらっしゃるなあと感心しました。また、記念館と実際「亀山社中」があった所とは若干離れてはいるのですが、その道すがら写真のようにかわいい龍馬の一言入りの看板があったりして、急な坂道も楽しくさせてくれていました。「亀山社中の跡」もその当時を再現し、当時の雰囲気を体感させてくれてました。玄関の上に隠れ部屋があり、今で言うロフトのようになっていて隠し階段で登れるようになっていました。狭い空間ではありましたが、密度の濃い歴史体験コーナーになっていました。和気藹々(わきあいあい)という雰囲気が良かったですねー。きっと、坂本龍馬という方がそういう方だったんだろうと私流に解釈いたしました。龍馬さんも喜んでいらっしゃると思います。「亀山社中の跡」を出てしばらく行くと長崎の町が見えてきました。私たちは、車で上まで来てしまいましたが、本当は、長崎の町からかなり坂道を登ってきた丘にあることがよく分かりました。この道を歩きながら、その当時の進歩的な若者たちのことを思うとそのパワーが伝わってくるようでした。来てよかったなあと心から思いました。旅の締めくくりを長崎でできて良かったと思いました。

 その後、市電が通る道を通り、近くにある眼鏡橋を見て、カステラで有名な時々修学旅行などで立ち寄るという「松翁軒」により美味しいカステラを買いました。「松翁軒」さんで、カステラの試食させていただいている時、太鼓の賑やかな音と元気な掛け声が聞こえてきたので店先に出てみました。すると長崎の秋祭りの山車が出ていました。お店の方の話ですと近じか行われるお祭りの練習をしているのだそうです。長崎の中華街で昼食をとり(初めて本場のちゃんぽんを食べました。苦手だと思っていましたが、とっても美味しかったです。)


その後、豊橋へと帰路に着きました。12時間ほど掛けて戻ってきました。無事に家に着いたときは、感謝の気持ちと達成感でいっぱいでした。一緒に行ってくれた家族、留守番していてくれた家族また、休みを下さった職場の皆さんに感謝しました。そして、元気に生んで育ててくれた両親に感謝しました。感謝感謝の「夢の九州旅行」を無事終えることができました。